もうじき梅雨明けでしょうか?
この時期調子を崩す方が多いですね。私もよく子供のころ入院しましたが、どういうわけかいつも梅雨時でした。ですから梅雨時もあまり好きではありません。
大病を患ったわりに今は元気になりました。入院しているころをよく思い出すようになっています。(それだけ年をとったということでしょうか?)
入院中の仏滅は大嫌いでした。誰もお見舞いに来てくれないからです。
なぜ大安はよくて仏滅は悪いのか!子ども心に真剣に考えたものです。
大安にも人は亡くなるし、仏滅にも人が生まれます。なぜなの?と親を困らせました。
慣習だからと応えられました。だからか?慣習も嫌いです。
父の日、母の日、誕生日、記念日、敬老の日・・・・。
その日だけ祝うという考えでなく、その日だからこそもっと労わり、表に現すのも理解はできますが、私は自分の子供に、記念の日でなくてもきちっと敬う心をもってほしいと伝えました。その結果、今は何にも行事がありません。
命日もそうです。大好きな祖父母、主人の両親、私の父親、身近な人句をも亡くなって命日がそれぞれあります。私は毎日思い出し、毎日ともに在りたいと願っていますので、あえてその日だからと何もしません。
少し変わっているのでしょうか?でも我が家の伝統です。
母も私が家にいるときは毎日、近くに弟夫婦と住んでいますが、20分ぐらい歩いてやってきて、昼食を食べてまた一人で帰っていきます。
すごく気にしていた、「父の命日に来なかったね」という言葉も、満84歳になった母がようやく言わなくなってくれました。
母の日にだけプレゼントするのでは悲しいでしょ?買ってあげたいときに買うので、母の日、誕生日はないですよということがようやく受け入れてもらえるようになりました。
慣習は大切です。しかし慣習に縛られてはいけないと私は思うのです。
子供のころに言われた習慣は身に付きます。
「嘘は泥棒の始まり!」「一聞いたら十知りなさい」「生きているうちに頭を使わずどうする!」
本当にそうだな!とつくずく思うのです。
約束した写真の発表が遅れましたが次の写真は、社中展の時発表する作品つくりで少し書けホットしているところと、おけいこの最初の楽しい準備風景です。